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第二十一話:メルボルンの小学校訪問記

今週の日曜日からちょうど1週間の日程でオーストラリアのメルボルンに来ている。目的はICCEという学会(小林が発表で連名発表)参加だが、黒上さんのコーディネートで地元の小学校に訪問することができた。

メルボルン郊外のApollo Parkways Primary Schoolで、黒上さん情報によると、25周年を迎えたらしい。1学年3クラスで幼稚園の年長さんにあたる1年生予備クラスから6年生まで児童数760名だの学校だ。低学年は21人まで高学年は24人までにおさえられているらしく、教室内はゆったりとしている。

カリキュラムはプランニング週間というのがあるらしく、その時に年間カリを細かく決めている。専科は音楽、体育、美術、イタリア語、テクノロジー、図書などが配置されている。他はクラス担任が受け持つ。

年度終わりであったため、6年生は「Passport to Year 7」という科目を行っていた。どうもこれは日本の総合的な学習の1つにあたるように思った。「Passport to Year
7」というのは、7年生の先生、つまり、自分が卒業した後の中学1年生の担任の先生に送る自分史のファイルのことで、自分がどんな人間でどんなことを小学校でやってきたかをファイルにまとめる学習だ。ただ、漠然とポートファイルを作成するのではなく、相手が明確であり、とても良い題材だと思えた。



この学校を訪問して特筆すべきことは2つ。

1つは、全クラスの教室にパソコン(それもMac!)が6台ずつ置いてあり、子どもたちは本当に使いたい子が自分の用途に応じて使っていた。それが完全に確立しており、まさに道具としてのパソコンになっていた。これは学校全体で共通理解がきっちりはかられていることと1年生の時からずっと教室にこれだけのパソコンが置かれていることが重要だと思った。

もう1つは、図書室が本を読むだけでなく、学習作業空間になっていること。ちょうど低学年の子が本を読んだ後に、そこで本にまつわる絵を描いていた。図書室には絵を描く道具やハサミ、のりなどが置かれており、いつでも使えるようになっていた。学校建築においてもそうだが、日本の学校ももう少し自由でやわらかい発想が必要だと改めて感じさせられた。



写真1:図書室。こうやって寝ころびながら作業するのもOKだ

写真2:美術室。普通教室もすべてそうだが、教室の上の方から自然光がさしこむ

写真3:廊下もまがりくねっている

写真4:教室のレイアウトは担任と子どもたちによって個性が光る

写真5:「Passport to Year 7」の授業風景。ひねた小学生?が1人写っているぞ

写真6:「Passport to Year 7」のテキスト




コメント (5)

海道@御園小:

世界中に教室があるんだな、と改めて感じながらレポートを読んでいました。自然光、木の学校、かくれんぼができそうなところがうらやましい。ちょっぴりのアイディアで教室が変身できそう。大型ホームセンターに行きたくなってきたなあ。小林くん、ちのちゃん、発表がんばって!!

山本@新大阪:

PCが、「普通」に、「道具」として、「何気ないこと」に、「さりげなく」使える。「環境」と「教師」がそれを支えるということが1、2、3、4の写真から伝わってきます。実際には、様々なトラブルがあるのでしょうが、日本の学校の教室と子どもたちを考えたとき、「淋しい」と思ってしまいました。一体何が違うのでしょう?教育環境を整える行政の力量?それとも、教師の力量?企業の取り組み姿勢?改めて、2010年に向けて私のできることが何なのか考えてしまった写真です。

のりか此@富山:

このように外国の小学校の様子を見ることができうれしかったです。環境も明るく、いろいろな物が道具として置いてある感じがしました。同じ6年生なので、自分史の取り組みに目がいきました。相手意識をもって自分のやったことを伝えるというのは、いいなと思いました。たとえばどんな内容があるのですか?学習のこと?心に残った行事のことが多いですか?内容は卒業文集みたいな感じですか?知りたいなと思いました。

そして、クラスの人数も多すぎず、少なすぎず、うらやましいなと思いました。読ませていただきありがとうございました。

かまたに@epson:

「日本との違い」という観点で、興味深く拝見させて頂きました。
メルボルンでは、パソコン利用が「違和感無く」生徒に溶け込んでいますね。日常的にパソコンや周辺機器の利用が使われてる様子が目に浮かびます。
日本でも、メルボルンの様に「違和感感無く」パソコンや周辺機器の利用が進むように、取り組みが必要ですね。その中で、エプソンの製品が「違和感無く」使われる事が出来れば、と考えています。

匿名:

 直接、関係はないのですが、きのう発表されたOECDの学習到達度調査の結果に関するいろいろな論評と重ねて考えてしまいました。東大の佐藤学先生のコメントに「子どもたちが少人数で話し合いながら学習を進める方式を中心にしていくべきだ」というのがありましたが、レポートされた教室環境からはそれに近いものを感じました。

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2004年11月30日 22:16に投稿されたエントリーのページです。

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