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第八十七話:普通教室でのICT活用、なぜ日常化しないか(前編)

 ある会の原稿として、以下の内容の寄稿をした。2回に分けて全文をご紹介する。



 パソコンやプロジェクター、そしてプリンタ、デジタルカメラなどのICT機器は、たしかに子どもたちが調べてまとめて伝えるための道具としてさまざまな場面で効果的だ。しかし、普段使ってなかったり、ICT機器に慣れてなかったりする教師が、校内に機器があるというだけで授業に活用するようになるのだろうか?わざわざICT機器を教室に運んでくるのだろうか?日常的な活用は「効果」と「透明性」の両面から進める必要がある。



 あまりICT機器になじみのない教師にとっては、『使ってみましょう』と言われても「どうしてわざわざ機器を使う必要があるのだろう」と思うものだ。しかし、日ごろ活用している教師を見ていると、機器の特徴をうまくいかしている。うまく活用するポイントは、効果を具体的に校内の教師に示す事だ。ここでは、前編で「効果の追究」として4観点を、後編として「透明性の追究」として4観点を述べる。



効果の追究1:大きいことは、いいことだ

 これは拡大提示することによって、焦点化や共有化がはかれる、ということだ。例えば、算数の授業において、プロジェクターに投影し、はかりの目盛りの一部を大きくすることによって、一点に集中する。

 教科書をそれぞれ見ていると、それだけで時間がかかる。「本当は他のことに時間を費やしたいのに」というときに、「ここを見て」ということで、つぎに進めることはよくある。もちろん、拡大提示はデジタルに限ったことではない。大判プリンタを使ったり、模造紙に書き込むことでも大きくすることは可能だ。この場合、コストや手間はかかるが、授業終了後に、教室掲示ができる利点がある。また、グループで書き込みをいれたり、コメントを貼ったりするときにも、紙は便利だ。



効果の追究2:動く事は、いいことだ

 動くことで言うなら、デジタルは得意だ。例えば、書き順。教書で1つ1つ増えていくよりも、デジタルコンテンツをなぞっていった方がわかりやすいに決まっている。教室にパソコンが設置してあるならそれこそ、子どもたちは楽しみながら休み時間に覚えてしまうのではないか。また、あさがおの夜の様子を短く編集して見せたり、分子の動きを見せたりと、普段体験することのできない世界を提示するなどの活用場面が考えられる。動くことで、知識・理解の補完になるのだ。

 また、作り方や完成のイメージをつかむ例もある。

 最近の図画工作科の教科書は、子どもたちの発想を刺激するような作りとなっていて、あまり作り方などが詳しく説明されていないし、説明されていたとしても図示である。そこで、教師が実物を事前に作成し、動かしながら提示するのであるが、繰り返したりいくつもの完成品を示したりすることはできにくい。しかし、教科書デジタル化教材を活用することで、アニメーションで作る過程を繰り返し見たり、いくつもの完成品を見て自分の作品のイメージ広げたりすることが可能となる。



効果の追究3:意図を把握するのは、いいことだ

 たとえば、デジタルコンテンツを活用するする場合にもその意図があるはずだ。それは以下の4つに集約されるだろう。

○知識・理解の補完・定着

 ・なかなか体験できないことを疑似体験する

 ・くりかえし練習する

○イメージや意欲の拡充

 ・見ることで想像力を刺激する

 ・実際の体験の意欲を促す

○学び方の補完

 ・うまくいくポイントをつかみやすい

 ・実験の手順がわかる

○課題や疑問への発展

 ・見ることでさまざまな疑問がわいてくる

 ・学習課題に収束するようなきっかけになる

 この4つのどれにもあまりヒットしないのであれば、それは使わない方が絶対に良い、ということになる。



効果の追究4:選択・組み合わせを検討するのは、いいことだ

 ただし、 仮にヒットしたとしても、 知識の表面的な補完のみに終わらないようにすることが大切だ。授業場面1つとっても、「これが今日の授業の答えです」 と言わんばかりに水戸黄門の印籠みたいにしたり、45分の授業中ずっとデジタルコンテンツを使い続けたりしていると、いつのまにか子どもたちは 「わかったつもり」 になってしまうだろう。

 例えば、理科の「人のからだのつくりと働き」では、電子情報ボードで相談をしながら情報を集める子どもたちの傍らで、人体模型を見ながらからだのつくりを確認する子どもたちがいるという光景も見られるというようなことも起こった。このように自分から情報に働きかけることで,調べる力がついたり,思考が深まったりする。

 うまく活用していく鍵は 「デジタルとアナログの選択・組み合わせ」 にあると思う。 実際のインタビューや実験などにうまく展開できるような、「わかる」「できる」
にうまく効くようなデジタルとアナログの行きつ戻りつがどのように授業デザインできるかがポイントだ。また、プロジェクターや電子情報ボードで拡大提示する場合も、板書との組み合わせをどのようにするのかが重要だ。すぐに消えてしまうデジタルの画像も焦点化するのには適している。しかし、45分間観点を整理しておくには板書が適している。このように、どちらが良いかではなく、バランスの問題なのだ。

 いかに普段の授業で子どもたちに実感をもたせられるか、 問題意識や追究意欲を高められるか、という授業デザインの問題なのである。




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2007年01月02日 23:11に投稿されたエントリーのページです。

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